2010-06-17 [日記]
こんにちは。
オーボエの小川綾子です。
今日は久しぶりに私のオーボエの師匠の家にお邪魔してきました。
私の先生はNHK交響楽団の元オーボエ・イングリッシュホルン奏者で、それはそれは名手でした。
私が先生のお宅の門を叩いたのは高校三年生の頃。もう40年も前になります。年を追うごとに時間の経過が速くなり40年前の出来事でも、つい数年前の様に感じます。
今日は私の所属する東京フィルの首席オーボエ奏者で弟弟子にあたる同僚も一緒にご挨拶に行ったのですが、その彼が先生の下でレッスンを受けたのが20年前だというので、一体先生は何人もの生徒を送り出して来たのだろう?と頭が下がるばかりです。
先生のレッスンを受けいていたあの頃、きっと世間知らずで生意気な少女だった私を、まるで我が子ように大事に育てて下さり私のオーボエ人生を広げて下さいました。
今私が楽団は違えどオーケストラで先生と同じ、オーボエ・イングリッシュ奏者として仕事ができているのも本当に先生のおかげです。
そんな先生がN響を退団されたのは22年前。当時、N響の定年は55歳で今考えれば若すぎる程の年齢ですが、まさに惜しまれつつ本当に立派にご卒業されました。
現在、私はその時の先生の年齢を越しました。
未だ当時の先生の演奏にはとても追いつけないとは思いますが、先生の下に通い始めたあの日から40年間ずっと先生の背中を追い続け、いつか越したいと胸に抱き続けてきました。
少しは近づけたでしょうか~??
私も「定年」という文字の書かれたゴールのテープがすぐ目の前まで近づいてきて今思うこと、いや今だからこそ思うこと、それはどうしても追い越せない偉大な恩師の背中、そして私は未だに若手で未熟者であるということです。
私が本当に真の「オーボエ奏者」「音楽家」の境地に入れる日はいつ訪れるのでしょうか?
それを探しながら明日もがむしゃらにオーボエを演奏して行こうと思います。
オーボエの小川綾子です。
今日は久しぶりに私のオーボエの師匠の家にお邪魔してきました。
私の先生はNHK交響楽団の元オーボエ・イングリッシュホルン奏者で、それはそれは名手でした。
私が先生のお宅の門を叩いたのは高校三年生の頃。もう40年も前になります。年を追うごとに時間の経過が速くなり40年前の出来事でも、つい数年前の様に感じます。
今日は私の所属する東京フィルの首席オーボエ奏者で弟弟子にあたる同僚も一緒にご挨拶に行ったのですが、その彼が先生の下でレッスンを受けたのが20年前だというので、一体先生は何人もの生徒を送り出して来たのだろう?と頭が下がるばかりです。
先生のレッスンを受けいていたあの頃、きっと世間知らずで生意気な少女だった私を、まるで我が子ように大事に育てて下さり私のオーボエ人生を広げて下さいました。
今私が楽団は違えどオーケストラで先生と同じ、オーボエ・イングリッシュ奏者として仕事ができているのも本当に先生のおかげです。
そんな先生がN響を退団されたのは22年前。当時、N響の定年は55歳で今考えれば若すぎる程の年齢ですが、まさに惜しまれつつ本当に立派にご卒業されました。
現在、私はその時の先生の年齢を越しました。
未だ当時の先生の演奏にはとても追いつけないとは思いますが、先生の下に通い始めたあの日から40年間ずっと先生の背中を追い続け、いつか越したいと胸に抱き続けてきました。
少しは近づけたでしょうか~??
私も「定年」という文字の書かれたゴールのテープがすぐ目の前まで近づいてきて今思うこと、いや今だからこそ思うこと、それはどうしても追い越せない偉大な恩師の背中、そして私は未だに若手で未熟者であるということです。
私が本当に真の「オーボエ奏者」「音楽家」の境地に入れる日はいつ訪れるのでしょうか?
それを探しながら明日もがむしゃらにオーボエを演奏して行こうと思います。
2010-06-17 01:20
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